こんぬづわー、元・盛岡市地域おこし協力隊きのぷーです (*> ᴗ •*)ゞ
今日は、中学校時代のある先生が文集にしたためていた一節についてのお話です。是非最後までお付き合いください(^∀^)ノ
早速行ってみましょう!
今日のお題:「先のことばかり考えて、私はそこにいただろうか。」― 先生の一言が教えてくれた、“今”と“未来”のつながり
はじめに
中学校の卒業文集に、ある先生が残してくれた言葉があります。
「先のことばかり考えて、私はそこにいただろうか。」
とても詩的で余韻があり、言葉の持つ深さを、子どもながらに感じたことを覚えていて、大人になった今でも、ふとしたときにこの一節を思い返します。
それは、なぜなのか。
なぜこんなにもこの言葉が、時間を越えて胸に残っているのか。
先生の真意はわかりませんが、自分なりに考えてみました。
“そこ”とはどこなのか?
先生の言葉にある「そこ」という言葉には、いくつもの意味が込められているように思います。
「その場」
「その瞬間」
「その空間」
――つまり、“今”という時間を表しているのかもしれません。
同時に、
「思い描いた未来の自分が立っているはずの場所」
という意味にも読み取れます。
未来を夢見ることは、素晴らしい
私たちは日々、未来に希望を描いて生きています。
「こうなりたい」
「あんな自分でありたい」
と、先のことを考えて努力し、
「今よりよくなる未来」に向かって歩こうとしています。
それ自体はとても尊いことです。
でも、先生はそこにひとつの問いを投げかけたのだと思います。
「夢見た“その場所”に、私は本当に“自分”として存在できていただろうか?」
「自分が思い描いた未来に、自分は本当に“いる”ことができたのか?」
夢を叶えることと、“そこにいる”こと
夢を描くことは素晴らしい。
だけど、夢ばかり見て“今”を置き去りにしてしまったら、夢が叶ったときに、自分の心がそこにいないかもしれない。
- たどり着いたのに、なんだか違和感がある
- 成し遂げたはずなのに、日々の忙しさに心がすり減って、空虚な気持ちになる
- 憧れの仕事に就いたけど、情熱を失ってしまった
- 忙しさの中で、自分の気持ちを置き去りにしていた
そんな経験は、誰にでも少しはあるのではないでしょうか。
私たちは、未来のために“今”を使っているけれど、同時に“今”の積み重ねが未来をつくっている。
このバランスを失ったとき、未来が“自分のいる場所”ではなくなってしまうのかもしれません。
未来の自分を決めるのは、今の自分自身
「先のことばかり考えて、私はそこにいただろうか。」
この言葉は、未来の自分が“自分のままでいられるかどうか”は、今の自分の生き方次第なのだ、というメッセージだったのかもしれません。
未来を夢見ること。
でも同時に、今この瞬間を大切に生きること。
その両方があってこそ、「私はそこにいた」と心から言える日が来る。
夢を叶えることと、自分らしく生きること。
このふたつをつなぐ道を、今ここから歩んでいけたら――
先生の言葉は、そんなふうに“生き方”のヒントを私たちに残してくれたような気がしています。
それはきっと、先生ご自身が
「夢を叶えることの意味」と、
「今をどう生きるかの大切さ」を、
深く考えていたからこその言葉なのではないでしょうか。
先生の言葉は、私たちの未来にも今にも、静かに希望の灯りをともしてくれるように思えてなりません。
※あなたにも、心に残っている「先生の言葉」はありますか?
よかったら、コメントで教えてくださいね。